(県指定重要文化財・絵画)

 太田資頼は、戦国時代の武将で岩槻城主であり、太田道灌(おおた・どうかん)の孫にあたります。19歳で出家し道可と号しました。
 子孫である太田資将(おおた・すけまさ)による元禄8年(1695年)の改修記が裏面に残っていますが、そこにはこの画像が資頼の寿像であると記されています。
 かなり褪色していますが、あごひげを長く垂らして座る老僧の姿が、しっかりとした筆使いで描かれています。

所在地 大字表9 養竹院 
(現在、埼玉県立博物館に貸出)
指定年月日 平成11年3月19日